陶あんの絵付工房にて、一点ずつ手描きによる絵付作業。京焼・清水焼ならではの華やかかつ雅味のある食器類が次々と生み出されてゆく。
電気窯を中心に、合計20台の窯が稼働する陶あんの工房。夜通しの焼成を経て朝方に開けられる窯もあり、ひっきりなしに素焼後の素地が運び出されていく。
結晶釉の生命線、釉薬の原料と焼成テストの様子。過去の膨大な実験データのみならず、常に新たな設定で実験が繰り返されている。気の遠くなるような研究により、結晶釉の安定した品質が得られているのだ。
変化に満ちた「陶あん」の歴史
陶あん創業は大正11年。初代の土渕俊雄氏もおそらく瓦窯の職人だったのでしょう、大正11年に創業して鬼瓦など装飾的な作品を手がけ、その作品は東京帝室博物館(現・東京国立博物館日本館)に採用されたと伝わります。
2代目の這褘(ちかよし)氏も同じく瓦の彫刻技法を磨いたものの瓦は量産の時代に入り、一念発起して渡欧します。近代陶彫の第一人者・ロダンや、フランスのセーヴル窯で活躍していた陶磁器彫刻家・沼田一雅氏に師事し、帰国後も陶彫作品を多く手がけました。戦後は土鍋や日用雑器を主要生産品として陶業を続けます。
3代目・善英氏もドイツで彫刻を学んだ後に家業を継ぎ、昭和30~40年代より釉薬の開発を始め、京焼・清水焼の絵付食器などを作るようになりました。折よく高度成長期からバブル経済の波に乗り、華やかな絵付作品が人気を博します。一時期は生産品の99%を色絵付の高級品が占めるほどになりました。 しかし栄華は長くは続きません。バブル崩壊後、日本経済は長期低迷し、高級品中心の経営は行き詰まります。泉涌寺地区自体も勢いを失い、最盛期には70軒ほどあった窯も、近年は半分以下となってしまいました。