1.陶家・沈家の始まりと薩摩焼の発展
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※日置市美山地区の沈壽官窯は、薩摩焼を代表する世襲の陶家。重厚な門構えが歴史を物語る。

 

 

沈壽官窯色絵草花文長方鉢 16×12×5㎝

 

陶家・沈家の始まりと薩摩焼の発展

 

沈壽官窯の歴史は遠く16世紀末に遡ります。慶長3年(1598)、豊臣秀吉の二度目の朝鮮出征(慶長の役)の際、多くの朝鮮人技術者が薩摩藩兵に戦時捕虜として捕えられ、日本に連行されました。彼らは製陶、樟脳製造、養蜂、土木測量、刺繍など様々なジャンルの技術者でした。当吉達は陶器の原料を薩摩の山野に求め、美山地区(旧称/苗代川)で窯を興し、陶家としての沈家の歴史が始まりました。
同時期に連行された朝鮮人陶家(金海、芳仲ら)は薩摩の他の地域でも作陶を始め、藩内に数多くの窯が築かれます。以後藩窯として帖佐焼、竪野焼、磯御庭焼、新御庭焼と連なり、主な民窯として苗代川焼、龍門司焼などが興り、製品や作風も多岐にわたりました。薩摩焼は当初、築窯・製陶とも朝鮮流の技法で行なわれ、白土の発見にともない種々改良されていきました。各窯は盛衰を繰り返しつつ技術革新をはかり、京都から純日本風絵付の色絵技法を導入して多くの名品を輩出しました。

 

 

 

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