歴史ある母屋玄関の扁額「窯元 渋艸焼」の文字は五代当主によるもの。
四代目鉄之助による染付花瓶。奥飛騨・神岡陶山の土を脱鉄して焼いた磁器。
五代目宗兵衛による色絵壺。遠近法を用いた人物図が印象に残る。
六代柳造作、満開の枝垂れ桜がびっしりと描かれた大壷。桜の花のシベ一本まで神経が込められた出来栄えは圧巻の一語。
六代目柳造が語る「窯を続けること」
180年・七代に及ぶ渋草柳造窯を営む戸田家の家訓は、「伝承は衰退、伝統は革新の連続」です。ただ単に同じことを繰り返すことは衰退であり、今までのものを基礎にして当代が新しいものを作り上げる、それこそが伝統だと捉えます。実際、初代戸田柳造はロクロ師、二代が絵付を始め、三代はオブジェ作品が多いというように、代ごとに作風は異なります。昭和56年に六代渋草柳造を襲名した戸田宗四郎氏がテーマとしたのは「陶画に日本画を取り込む」ことでした。桜、童子、紅葉など、柔らかな日本画調の意匠を描いたその作品は、現在も高い評価を得ています。
六代は、窯の歴史を繋げるためには基本技術と基礎知識があってこそ、そう強調します。「焼物で食べていくのは本当に苦労の連続。どこの窯も大変だと思います。でもそこは基礎の部分が助けてくれる。続けるだけで値打ちがあるが、その中で革新を繰り返していけばもっと価値が高まる」。時代の流れや様々な事情により、転居や規模縮小などの盛衰を経験してきた六代の言葉には重みがあります。